さっきちきりんさんが
違うくありたいってブログ書いてたけど
僕は小さい頃から
変わってるとか
人と違うことやりたがるとか言われて
言うならば親兄弟からも変人扱いされてた。
ある程度自我が芽生え始めたら
学校の教師の全てを一緒にさせようという
そういう方針にイラつきたてついた。
いわゆるはみだしもんだ。
恐らく教師にとってめんどくさかったと思われるのが
僕はいわゆるヤンキーとは違って
校則もいっぱいやぶったし
タバコも吸ってたし、茶髪にもしてた。
けど、なんというか
いわゆるヤンキーとは違ってた。
それはヤンキーが結局同じような思想と
思考と趣向の集まりだったから
それも何か嫌だったから。
恐らく教師にとってはすげーめんどくさくて厄介だったと思う。
口だけはとにかく達者だったから
オトナが子供を言いくるめる
スジが通ってない理論には真っ向からはむかったし
例えばそれは校則云々だけじゃなくて
学校での勉強の教え方にも及んだ。
今でもわずかに記憶に残るのは
中学のときにあった
全国統一テストの必要のなさの訴えと、
数学の授業でとりあえず公式覚えろというやり方。
以前にも書いたけど、公式に関しては
絶体その教え方は間違ってると思い
自分で新たな公式を作ったこと。
検算しても全く間違っていなくて
そりゃあちゃんと公式がなぜそうなるか
ちゃんと理解して作ったわけだから
間違うはずがない(はず)。
それを意気揚々と数学の教師に見せたら
間違ってないけど、テストに書いたらバツにするとか言った。
これには本当に呆れた。
褒めるわけでもなく、
挙句の果てに他と一緒じゃなきゃバツだとか
一体何がしたいのかとしか思わなかった。
それから学校の授業がバカバカしく思えて
1人で好きな英語と数学は
自分なりの飛び級と称して
先の学年の参考書をかってきて
どんどん先に進めてた。
まあ、人と一緒が嫌だったんかな。
違くありたかったんかな。
でも、あの時の僕が今ここにいて
同じことやっててもやっぱりそれでいい!
素晴らしい!って言えるし
やっぱり間違ってなかったと思う。
ただ、ちきりんさんが言うように
人と違くあればブルーオーシャンを
悠々自適に泳げるわけでもなく
僕はレッドオーシャンどころか
泥沼の中をぐにゅぐにゅ歩いてる。
人と違くあればブルーオーシャンってこともないし
人と一緒のことやってればレッドオーシャンってこともない。
恐らくは人と違くあっても
早い段階でワイはこれや!っていう
感じのものを見つけることが大事だと思うし、
そしてそれを決めたら何がなんでもやり続けることが大事だとも思う。
もちろん、才能云々とかあると思うけど
やっぱりブレずに進んでいれば
何かしら道は開けてる。
僕はきっと寄り道をした結果
さらにその先にある寄り道を見つけて
気づいたら泥沼の道だったんだと思う。
だから違くありたいって思うガキんちょに言いたいことは
違くありたいって思った次は
違くありたいとかそんなんどうでもよくなるくらい
自分が何者なのかに早く目覚めろってこと。
まだ何者にもなりきれないとりまな男より。
ネタ元→他者と違うくありたい